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夢中です

『優しい時間』の長澤まさみに夢中です。友達になりたいです
。(BROKENSPACE 寺田友)

「とんかつダイアリー第四回前編」
 
大学入試に敗れた18の春、僕は住みなれた我が家を離れK県のK市に移り住んだ。生まれて始めての独り暮らし。当時の本人はそれを自立と思っていた。笑わせるな。それは今まで以上の親に甘えた生活だった。
当たり前の事なのか、そうでないのか分からないのだけれど僕はアルバイトもせず両親の仕送に頼って生活していた。告白すれば当時の家賃が5万2千円、仕送が月に7万。予備校にかかった金額は知らない。なのにテレビがないというだけで僕は苦学生気分だった。ラジオしかない生活に、その苦境に酔っていた。予備校には全く行かなかった。生まれて始めて聞いたラジオに魅せられていた。受験勉強のオアシス、オールナイトニッポン。受験勉強に一秒たりとも勤むことなく僕は1242にダイヤルを合わせた。

電気グルーウ゛を僕は知らなかった。テクノミュージックを僕は知らなかった。しかし彼らのトークに18才の僕は完全にヤラレテしまった。赤本なんてどうでもよくなった。そもそも北関東出身の小さな蛙であるところの僕は、世の中で(嗚呼!何たる誇大妄想であるか!)自分ほどに面白い話のできる人間がいるなんて想像もしないでいた。それがヤラレタのだ。電気グルーウ゛のオールナイトニッポンが始まって終わるまでの二時間、僕は無抵抗に笑い続けた。彼等のトークに。投稿されるハガキに。それは受験の失敗よりはるかに大きな痛手だった。

決して褒められた事ではない。それは分かっている。しかし苦学生テラダは生まれ変わった。英文法もしくは方程式を筆記すべきノートに、その日から記されたのは「女装癖がありそうな有名人」であったり「マイケルジャクソンがしでかしそうな奇行」であったりした。僕は両親に与えられた(それは自慢の)本名すら捨てた。18才の僕はテラダユウという名前を軽々と捨て(嗚呼!実に軽々しく捨て)自ら「ブランキージェット浪越」と名乗り、その人生を自ら踏み出した気でいた。(参考書の一冊も買いなさいとの親心が踏みにじられるのに時間はいらなかった。浪越はその金で投稿ハガキを買ったのだ。)

そしてセンター試験より早いその日、僕に(ブランキージェット浪越に)桜は咲いた。
「スター対抗バカ合戦」というコーナー中でブランキージエット浪越の投稿ハガキは全国のダメ浪人生に読みあげられた。『でかチンだと思われる有名人は誰か?』というお題に対するテラダユウ改めブランキージェット浪越(以下ブランキー)の投稿作「リンゴスター」がチャンピオンの栄誉に輝いた。ディスクジョッキーの電気グルーウ゛がスピーカーの向こうでいつまでも笑っている。こちら側の世界でブランキーは興奮でぶるぶると震え続けた。



後編へつづく

2004.02.15
とんかつダイアリー第一回
2004.06.04
とんかつダイアリー第二回
2004.08.27
とんかつダイアリー第三回(前編)
2004.09.02
とんかつダイアリー第三回 (後編)
2005.02.21
とんかつダイアリー第四回(前編)
2005.03.03
とんかつダイアリー第四回(後編)
2005.11.11
とんかつダイアリー第五回
2006.03.22
とんかつダイアリー第六回
2006.03.22
とんかつダイアリー第七回
2006.07.12
とんかつダイアリー第八回
2007.01.16
とんかつダイアリー第九回
2007.06.09
とんかつダイアリー第十回